アール・デコ
アール・デコ(仏:Art Déco)
フランス語でArt Décoratifsの略で”装飾美術”の意味。1920年代から1930年代にかけてフランスに起きた芸術運動のこと。デザインの基調は有機的な曲線のアール・ヌーボーに対して、直線を生かしたフォルムで抽象的で幾何学的な模様を中心としたもので、東洋調のデザイン、モチーフを利用した作品が見受けられます。国内の建物では旧朝香宮邸の東京都庭園美術館が代表的でジュエリーの世界ではパリのヴァンドーム広場に店をもつ名のあるメゾンが活躍しました。
アール・ヌーボー
アール・ヌーボー(仏:Art Nouveau)
フランス語で”新しい芸術”の意味。1890年代から1910年頃まで、ヨーロッパを中心に広がった芸術運動です。素材の価値を重視せずデザインと技術を第一と考え、デザインの基調としては日本からの文物に強く影響を受けており、奇抜な曲線が多用され、昆虫、花、爬虫類といった有機的なモチーフが多く用いられました。ベル・エポックと呼ばれたこの時代のパリは、進歩する工業技術と新しい芸術に触れられる中心地でした。ジュエリーの世界ではルネ・ラリックなどが活躍しました。
アーツ・アンド・クラフツ運動
アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)
美術工芸運動。19世紀末、産業革命による機械化の発展により、大量生産の商品が溢れ出し工芸品の品質が低下したことに対して、英国で生まれた芸術運動。機械化による分業ではなく手作業による一貫生産を理想とし、宝石や貴金属の本来の素材価値よりも、デザインや製作技術の高さが重視されました。この運動の中でエナメル(七宝細工)も再認識され、流行しました。イギリスではロンドン、サウスケンジントンに店を構えていた チャイルド&チャイルドなどが有名です。
アームレット
アームレット(Armlet)
手首に着けるブレスレットに対し、上腕部(二の腕)にぴったりとはめる形式の腕輪。古代エジプトの頃から存在し、近年ではインドのムガール様式の作品のコピーとして流行しました。
アントワープ
アントワープ(英:Antwerp 蘭:Antwerpen)
ベルギーの一都市。15世紀半ばにこの街に住むローデウィク・ファン・ベルケン(Lodewyk van Berken)によってダイヤモンド研磨用の円盤(Scaif)が発明され飛躍的にカットの品質が向上し、大規模なコミュニティが形成されていました。その為、世界のダイヤモンドの取引ならびにカットの中心地の一つとして栄えました。大航海時代の貿易の中心で世界有数の規模の都市だったようです。
現在も大粒のダイヤモンドを送りだす産地として多くのユダヤ人、インド人達がダイヤモンドビジネスに携わっています。
アッシュビイ
チャールズ・アッシュビイ(Charles Ashbee 1863~1942年)
アーツ・アンド・クラフト運動の指導者の一人。1888年、ロンドンに手工芸ギルドを設立し、運動の発展に寄与した。
アイディアルカット
アイディアルカット(Ideal cut)
代々ダイヤモンドにかかわる仕事をしていたトルコウスキー家の4代目で、数学者でもあったマーセル・トルコウスキー(Marcel Tolkowsky)が1919年に開発したカットのこと。ダイヤモンドに入る光の反射を計算し、導き出された理想的(アイディアル)なラウンドブリリアントカットをいいます。
アザミ
スコットランドとアザミ(Thistle)の花
現在、スコットランドの国花はアザミが用いられています。これは15世紀に制定されたもので、1263年にノルウェー(ヴァイキング)の王ホーコン4世とスコットランドが戦った時の出来事が由来となっています。
13世紀中頃、ホーコン4世はノルウェー王国を大きく繁栄させ、一時は北海を治めるほどの勢力を誇っていました。現在でもノルウェーにおいて最も偉大な王と呼ばれています。
北海諸島の領有権を巡ってスコットランド王アレクサンダー3世と対立したホーコン4世は1263年にスコットランドと争いになり、戦いを有利に進めるべく夜の闇に乗じて斥候を出しスコットランド軍を探ろうとします。しかし、スコットランド軍に近づいた斥候はアザミを踏みつけ、足にはしる激痛に叫び声をあげてしまい、ノルウェー軍が近くまで来ていることをスコットランド軍に知らせてしまいます。
アザミに助けられ勝利を治めたスコットランド軍はヘブリディーズ諸島を正式に領土に加え、アレクサンダー3世による治世は国内も安定し「黄金時代」と呼ばれるほど国民の生活が向上しました。
スコットランドの人々は国を守ってくれたアザミに親しみをもち、750年以上もの間、アザミの花を愛し続けています。
インタリオ
インタリオ(Intaglio)
平らな宝石の表面にデザインを彫り下げたものをいう。
紀元前からある技術で最初は円筒印章やシールとして彫られ、印章として用いられた。近年の作品では、シールの形をしたペンダント、そして紋章やモノグラムを彫った指輪などに使われる。
ヴァシュロン・コンスタンタン
ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin)
1755年にジャン=マルク・ヴァシュロン(Jean-Marc Vacheron)によって創業。時計メイカーとしては世界最古の250年を超える歴史をもっています。4つのV字模様からなるマルタ十字がシンボルマーク。創業200年の1955年には厚さ1.64mmという当時世界で最薄の機械式ムーブメントを発表するなど高い技術力をもって現在も手作り時計の老舗として世界中の時計ファンより支持を得ています。
ヴァン クリーフ&アーペル
ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)
1906年にジュリアン、ルイ、シャルル・アーペルの三人兄弟と、義理の兄アルフレッド・ヴァンクリーフの四人でパリの中心であるヴァンドーム広場に店舗をオープン。宝石のセッティング法で、爪が表に見えないように宝石を留めるミステリー・セッティングを開発したことでも有名です。現在でも”アルハンブラ”シリーズが世界中で人気を得ています。
ヴィクトリアン様式
ヴィクトリアン様式(The Victorian Style)
1837年から1910年までの長きに亘ったヴィクトリア女王治世下の英国で作られたジュエリーの様式。女王が好んで身に付けていたガーネットがあしらわれたものや、ロマンティックなデザイン、自然をモチーフにしたデザインのジュエリーが流行しました。REGARDなどの文字遊びが施されたジュエリーがフランスから移入され流行したのもこの頃でした。ヴィクトリア女王が夫のアルバート公と死別した1861年より、喪に服す意味で黒色を主としたジュエリーを身に付けたことから、モーニング・ジュエリー(mourning jewelry)もこの時期に数多く作り出されました。
ヴェヴェール
ヘンリー・ヴェヴェール(Henri Veevr 1854~1942年)
1821年に創立された三代にわたるパリの宝石商の一人。アール・ヌーボー期に大活躍した。この時代の作家としては大振りな宝石を多用し、絢爛たる作品が多い。
ウエッジウッド・カメオ
ウエッジウッド・カメオ(Wedgwood Cameo)
英国のウエッジウッド陶芸社が作った陶磁器製のカメオ。地の部分は様々な金属を加えることによって青、ライラック、緑、黄、黒などに着色され、その上に白い色のデザインがカメオ状に浮き出る構造が一般的である。
アンティークのウエッジウッド・カメオの中には陰影を施した素晴らしい作品も残されている。
エドワーディアン様式
エドワーディアン様式(Edwardian Style)
19世紀の終わりから1910年頃までのエドワード7世統治下の英国を中心に流行したホワイト色の強いジュエリーをいいます。素材にはプラチナが使われ、ダイヤモンドやナチュラルパールなどが多く用いられました。デザインは左右対称で非常に繊細に作られたものが多く、鋸によるオープンワーク、ミルグレーンという技法が発達しました。1867年に南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見されたこと、1880年代よりガス灯や電灯が普及したこともあり、キラキラと光るダイヤモンドを用いたジュエリーが流行しました。
エトルスカン様式
エトルスカン様式(The Etruscan Style)
元々はイタリアの中西部に紀元前8世紀から紀元前1世紀までいた先住民、エトルリア人の金細工の意味で、19世紀中頃にイタリアで発掘された品を再現して作られた金細工品のことをいいます。作り手としてはローマで活躍したカステラーニが有名で、技術的には粒金細工(グラニュレーション)が代表的。1850年頃からのエトルリア地方の発掘と博物館での展示から流行しました。
エナメル
エナメル(Enamel)
ガラス質の釉薬を熔かして金、銀、銅などの母材に焼き付ける技法、またそれを施されたものの総称をいいます。日本においては七宝と呼ばれます。また、同様の方法で工業製品などは琺瑯(ほうろう)と呼ばれる。
―――様々なエナメル技法―――
エイグレット
エイグレット(Aigrette)
本来はインド人がターバンの中央に付ける、羽根に宝石を飾ったもの。西欧にもたらされてから、羽根の形をしたものを貴金属と宝石で作った帽子飾りやブローチなどをエイグレットと総称する。17世紀に登場し、20世紀初頭にも流行しました。
エメラルドカット
エメラルドカット(Emerald Cut)
多くは長方形、まれに正方形のステップカットで、四隅を斜めにカットしたもの。エメラルドに多く用いられます。
エキストラファセット
エキストラファセット(Extra Facet)
通常58面体のブリリアントカットに追加で施されるカット。主にガードルやパビリオンに切欠きや含有物(インクルージョン)がありクラリティを邪魔している場合などに入れられます。
オープンセッティング
オープンセッティング(Open Setting)
主にファセットのある透明な宝石を台座にセットする場合に、台の裏面を開け、あらゆる方向から石に光が当たるように工夫されたセッティングのこと。反対に台の裏側を完全にふさいだものをクローズドセッティングと呼ぶ。
オクタヘドロン
オクタヘドロン(Octahedron)
八面体。ダイヤモンド結晶の最も一般的な形の一つで、正三角形の結晶面8個がちょうどピラミッドを二つ底部でつなぎ合わせたような形状をいいます。
オールドヨーロピアンカット
オールドヨーロピアンカット(Old European Cut)
初期のブリリアントカットの一種。ほぼ円形でクラウン部分が小さく、パビリオン部分が深く、キューレットが大きいのが特徴です。
オールドマインカット
オールドマインカット(Old Mine Cut)
やや中膨らみの四角形で初めて全58面のカットが施されたもの。今日のラウンドブリリアントカットの大元となった。このカットが改良されたものがクッションカットになります。
ガラード
ガラード(Garrard)
1735年に英国皇太子の金細工職人として任命されたジョージ・ウィックス(George Wickes 1698年~1761年)により創業。その後、1802年に資産家ロバート・ガラードに引き継がれる。英国王室御用達のハウス・オブ・クラウン・ジュエラーとして知られる。英国王室の530カラット以上もある世界一大きいダイヤモンド「カリナン Ⅰ」がセットされた王笏をはじめ儀式用のジュエリーの管理、修復、作成などを150年あまり担っています。
カルティエ
カルティエ(Cartier)
1847年にルイ・フランソワ・カルティエ(Louis Francois Cartier 1819年~1904年)が宝石商で師匠のアドルフ・ピカールの後を継ぎ、パリのモントルゲイユの工房を譲りうけたのが始まり。
ガーランド様式を完成させた初代から孫の3代にわたり、常にジュエリーの変化の先駆者となり、新しい作品を生み出し続けました。2007年で創業160周年を迎え、その歴史を紐解いていくと世界中の名だたる顧客達がみえてきます。20世紀初頭の英国王エドワード7世が述べたといわれる「王の宝石商あるがゆえに、宝石商の王である」という一節は有名。
カンティーユ
カンティーユ(Cannetille)
元々はフランス語で刺繍のための金銀糸を意味するが、ジュエリーの世界では細い金銀の線を自在に曲げ、つないでデザインをした技法をいう。
金という素材が極めて希少であった1840年頃まで多用されており、デザインとしては平面的ながら美しい作品が多く残っている。
カステラーニ
カステラーニ(Castellani 1814年~1930年)
フォルトゥナート・ピオ・カステラーニ(Fortunato Pio Castellani 1793~1865)が1814年に創設した、ローマの宝石商一族。19世紀にイタリアで発掘されたエトルリア(紀元前8世紀~4世紀に栄えた都市国家群)のジュエリーのデザインと技法を復元することで、考古学様式(Archaeological style)と呼ばれるリヴァイバルスタイルを作り上げました。特に、謎とされてきた粒金(Granulation)の技法を復元し、極めて精緻な作品を残しています。また、発掘された本物と復元したジュエリーを区別するために製作者の刻印を入れたことで近代最初のデザイナーと言える人物です。
カリブルカット
カリブルカット(Calibre Cut)
特定のカットではなくデザインに合わせて自由自在にカットした小粒の色石の事。ダイヤモンドを背景に、このカットの色石を並べて線や面を描いた作品は、アール・デコの時代を代表するものである。
カットスチール
カットスチール(Cut Steel)
ダイヤモンドの代用品の一つとして作られた、小さな面をカットした鉄鋼の粒。通常、別の台座に開けた穴に一個ずつリベット状にセットされる。18世紀~19世紀にかけて、最初は英国で、やがてフランスでも流行し、保存状態のいいものはアンティークとして珍重されてはいるが鉄鋼の為、錆びてしまうことがあるのが難点。
カクテルリング
カクテルリング(Cocktail Ring)
1940年代から流行したリングのスタイルです。大振りな見た目と大きな色石やカラフルな色使いが特徴。右手の薬指にされることもありライトハンドリングとも呼ばれます。華やかなデザインのものが多く、パーティ等で活躍しました。
カメオ
カメオ(Cameo)
本来は陽刻、浮き彫りのことをいう。ハードストーンと呼ばれた縞メノウやシェル(貝殻)、ラヴァ(溶岩)など様々な素材がある。珍しいものではエメラルド、アメシストなどの単色のカメオも見られます。ストーンカメオやシェルカメオは2層~3層の色の違いを利用して陰影や質感の違いを美しく表現したものがあります。
陰刻、沈み彫りのことはインタリオと呼びます。現状において、国内ではインタリオの作品が流通している機会は少なく、一般的にそれらも合わせて彫刻されているものをカメオと言っていることもあるようです。
カボッションカット
カボッションカット(Cabochon Cut)
宝石を研磨するのに際して平たい研磨面のファセットを下にし、上面を丸く球状に仕上げたカット。透明度の低い石、遊色効果やキャッツアイ効果などの光学的効果のある石などに施されます。
キルトピン
キルトピン(Kilt Pin)
スコットランド固有の服装であるキルトの合わせ目を留めるための縦長のピン。多くは短剣の形をしており、スコティッシュジュエリーが流行した19世紀半ばにはスコットランドで採れるメノウなどをカットしたものをはめ込んだ懐古的な作品が多く作られました。
キューレット
キューレット(Culet)
ダイヤモンドのパビリオン部分先端にある、尖った部分を保護の為につけた小さなファセット(面)のこと。アイディアルカットの項を参考にしてください。
クローズドセッティング
クローズドセッティング(Closed Setting)
透明な宝石の裏面を、地金でしっかりと覆った石の留め方。色石の場合、裏面に銀の箔などを使って色を強めるのに用いられた。宝石の輝きよりも、色を大切にした時代の技法。
グランドツアー
グランドツアー (Grand Tour)
16世紀から19世紀初頭まで見識を深めるために行われていた大規模な国外旅行のこと。
18世紀に最盛期となるグランドツアーと言われる大周遊旅行は、英国の社交界において「理想的なジェントルマンになるためには古典文学と異国文化の習得が必要不可欠である」との考えから多くの貴族や裕福なジェントリの子弟が行いました。フランシス・ベーコンの著作「随筆集」には旅行についての章があり、見物し考察すべきものとして、その土地の君主の宮殿や城壁、図書館、大学、喜劇、衣装の宝庫などと共に宝石が挙げられています。
当時、主にフランス、イタリア、スイス、ドイツ、オランダが行き先で、特に人気のあったのは「先進的な国家フランス」と「歴史ある街イタリア」でした。
フランスへはドーバーからカレーへ船で渡りアミアンやルーアンなどで史跡を訪れたり、フランス語を習いながら一月ほど過ごし、パリへ向かうのが定番のルートでした。またイタリアではフィレンツェからピサ、ローマを通って南のナポリに入る旅程などが一般的で、特にフィレンツェ、ローマは定番の行き先となっていました。
グランサンク
グランサンク(Grand Cinq)
直訳すると「偉大な5店」。パリのヴァンドーム広場を拠点とする店のなかでも、フランス高級宝石商協会が認めた5大ジュエラー(パリ5大宝飾店)のこと。ヴァン クリーフ&アーペル、ショーメ、メレリオ・ディ・メレー、ブシュロン、モーブッサンの5つ。フランス高級宝石商協会は1947年に結成され、当時は比較的多くの宝石商が参加していたようですが最後に5つの宝石商となり、グランサンクと呼ばれるようになりました。
クラウン
クラウン(Crown)
カットされたダイヤモンドなどの宝石のガードル面から上にある部分の総称。カットされた宝石を真正面からみて見えている部分と言えます。アイディアルカットの項を参考にしてください。
クロワゾネ
クロワゾネ(Cloisonné)
台座に金属の線を張り付けてデザインの輪郭を作り、できた枠内にエナメルを焼き付ける技法。有線七宝のこと。
コサージュブローチ
コサージュブローチ(Corsage Brooch)
18世紀から20世紀初めまで用いられたブローチ。スタマッカーという胴を細く締め上げたドレスの装身具として、バストラインからウェストまでに及ぶ部分を逆三角形に、全面的に飾るのに用いた。極めて大柄なため、線細工のものが多い。
ゴールドスミス&シルバースミス カンパニー
ゴールドスミス&シルバースミス社(Goldsmiths & Silversmiths Company 1880年~1952年)
1880年にロンドンでウィリアム・ギブソンとジョン・ラングマンによって設立。ジュエリーとブライダルギフト、置時計、腕時計、銀製品やシルバープレートを主な事業としていました。英国王室はもとより、様々な顧客からおよそ1m50cm程の高さのあるトロフィー製作を請け負うなど多岐にわたる事業を展開していました。1952年にクラウンジュエラーとして知られるガラードと合併し歴史あるG&S社に終止符を打っています。大英博物館にはカステラーニ作の雄羊のスタッズが同G&S社の箱に入って収蔵されており、カステラーニの作品をG&S社で箱を付けて販売していたと考えられます。そういったクオリティの高いジュエリーも扱っていたことなどから当時、名店であったことが伺えます。
サインドピーシーズ
サインドピーシーズ(Singed Pieces)
作者の署名や刻印が入ったジュエリーのこと。19世紀半ば頃からジュエリーデザイナーが登場、作者としての署名あるいは刻印を自作につけて売り出すものが現れた。後年、大宝石店の多くもこの方式にならい、刻印や製作年度などを作品に入れるようになった。
サヴィーヌ
サヴィーヌ(英:Sevigne、仏:Sévigné)
大柄のブローチで、横に紐を結んでリボン型をデザインし、そこから逆三角形に紐状のデザインを下げて胴着の前の部分全体を覆うようにして着けるもの。これは17世紀中頃から18世紀にかけて作られたものだが、転じてこの形をもつブローチをこの名前で呼ぶ。
ジャボットブローチ
ジャボットブローチ(Jabot Brooch)
通常はピンの両端にデザイン部分を持ち実際に着用すると中央のピン部分が衣服の下に入るために、2つのデザイン部分だけが衣服の上に残る形式のブローチをいう。起源は男性用のタイピンの変形といわれる。
シノワズリ
シノワズリ(Chinoiserie)
西洋の美術において、中国の文物のデザイン、技術、素材などに影響を受けた動き。この影響は17世紀後半から多くの分野に見られるが、ジュエリーではアール・デコ期の化粧品入れや小物入れなどの実用品に、極めて顕著にみられる。
シェルカメオ
シェルカメオ(Shell Cameo)
カメオの技法を色の違う層を持つ貝殻に応用したもの。15世紀頃からイタリアで作られてきたが19世紀半ばに英国を中心に大流行した。古くは神話をモチーフにしたが、近世のものは女性像など、女性的なものが多い。
ジェット
ジェット(Jet)
古代の松や柏の木が化石化してできた漆黒の石。艶のある黒い色合いを持ち、比較的やわらかく、自由に成形したり彫刻することができる。喪の雰囲気に合うジュエリーとして最適なので、1860年代以降、多くのモーニングジュエリーの素材となった。ヴィクトリア女王の王配アルバート公がなくなった1861年よりヴィクトリア女王にならいジェットのジュエリーが流行していった。
ショーメ
ショーメ(Chaumet)
1790年頃、ショーメの創業者エティエンヌ・ニトーは落馬したナポレオン・ボナパルトを助けたといわれています。ナポレオンは深く感謝をするとともにニトーの宝飾品に魅せられ御用達宝石商となります。その後、ナポレオンの宝冠などを手掛け、後に世界の王室や貴族の御用達宝石商となっていきます。
200年以上もの歴史ある高級宝飾店。ニトーから数えて6代目のジョゼフ・ショーメのときサントレノ通りから現在のヴァンドーム広場12番地に移転しています。1980年には2階にショーメ博物館を開設し、ショパンが息を引き取ったという、その歴史ある建物には各国王室にあるショーメ製作のティアラのレプリカ(制作前の試作品)などが飾ってあります。ジョセフィーヌが身につけているジュエリーの一式はショーメが製作したものです。
ジョージアン様式
ジョージアン様式(Georgian Style)
1800年頃からヴィクトリア女王即位の1837年頃までの期間に作られた作品。ゴールドとシルバーを台座とします。現在より産出量が少なく金が稀少であったため、いかに少量でボリュームのある作品を作るかということに工夫がなされていました。宝石の裏面や側面を完全に覆ったクローズド・セッティングされているものが多く、作られたジュエリーのほとんどが手作りである事が特徴です。現在ジョージアン期のオリジナルの作品は大変少なく稀少性が高くなっています。
シール
シール(Seal)
印章として権利者のサインや頭文字、紋章を宝石や金などにインタリオ(沈み彫り)状に彫り、粘土や封蝋の上に押すための道具。古代には円筒状の石だけのものが多く作られていました。後に指輪にセットされるようになり、16世紀以降はチェーンに下げるペンダントの作品も作られました。
シングルカット
シングルカット(Single Cut)
クラウンの部分にテーブルとファセット8面のカット。0.05カラット以下の小さなダイヤモンドにみることができます。
シンチレーション
シンチレーション(Scintillation)
宝石が発するきらめきのこと。宝石を動かしたり、見る人間が動いたりした場合に生じる宝石のファセット面やパビリオンからの反射のことをいいます。元々は星のまたたきのこと。
シャンルーヴェ
シャンルーヴェ(Champlevé)
台座となる金属を彫り込んで図柄を作り、くぼみを埋めるようにエナメルを施して彩色していく技法。初期には彫り込んだラインに施されていましたが技術の発達にともなって面が彫り込まれ輪郭の部分が残されるようになりました。
スコティッシュ・ジュエリー
スコティッシュ・ジュエリー(Scottish Jewelry)
スコティッシュ・ジュエリーはイギリス北部のスコットランドの伝統的な装身具で比較的ブローチが多く、格子縞のラシャの大きな肩掛けを留めたり、キルト(男性用の巻きスカート)の留めとしてよく使われました。
一般的には台座にシルバーを使い、地場で多く採れる様々な色のメノウの石をデザインに合わせてカットし、嵌め込まれています。スコットランドの花アザミのモチーフやレイピアのモチーフ、ケルトを思わせるクリッピングビーストと言われる模様などが特徴的です。
1848年にヴィクトリア女王がバルモラル城(Balmoral Castle)を訪れたのをきっかけとして英国内で流行しました。稀に台座にゴールドを用いたものも見られますが数が少なく稀少な作品といえます。
ステップカット
ステップカット(Step Cut)
クラウン、パビリオンともに四辺形のファセット(面)で構成され、ガードルに対して平行に傾斜するファセットを施したカット。煌きよりも色合いを重視する宝石に多く使われます。
スイス エナメル
スイス エナメル(Swiss Enamel)
金の板に中間色のエナメルを焼き付け、その上に別のエナメルで絵を描き、さらに透明で艶のあるエナメルをかけた、スイス特産のエナメル製法。細密な人物像や絵画の模写などの作品が見られます。アンティーク作品においては当時、スイスを旅した英国の貴族などがお土産として優品を数多く買い求めたとされています。
セラフィム
セラフィム(Seraphim)
熾天使(してんし)、キリスト教で最も高位の天使のこと。元々は男性の顔と6枚の羽で現わされていましたが、14世紀以降天使の姿がギリシャ神話の神エロスの寓意と混同された結果、幼児の顔に6枚の羽で現わされるようになりました。
ソトワール
ソトワール(仏:Sautoir)
20世紀初頭に流行した極めて長いネックレス。ウエストラインよりもさらに下にさがるほど長く、真珠のタッセルを特徴とした。
ダブルハート
ダブルハート(Double Heart)
ヴィクトリア朝を代表するセンチメンタルなデザインモチーフ。一部が重なった2つのハートを横につなげたデザインが多く作品としてはブローチとリングが多い。
チューダーローズ
イングランドの国花
イングランドの国家は赤と白の薔薇を組み合わせた架空の花チューダーローズ(Tudor rose)です。
これは1455年に始まる薔薇戦争とそれを治めたリッチモンド伯ヘンリー・チューダーに由来します。
15世紀前半フランスとの100年戦争末期、英仏海峡の制海権を得て利益を得ようとフランスへと遠征した英国王ヘンリー5世は内乱で苦しむフランス諸侯を破り戦いを有利に運んでいました。しかし遠征の最中、1422年に34歳で急死してしまいます。
求心力のある王が急死したことにより、徐々にフランスとの戦況が悪化し、イングランドはフランスとの和平を進めようとするランカスター家を中心とした派閥と、あくまで戦うべきだと考えるヨーク家を中心とした派閥に分かれ争い始めます。
1455年にヨーク公リチャードが和平派であった英国王ヘンリー6世に対して反乱、戦端が開かれ、後に薔薇戦争と呼ばれる30年余りにものぼる継承戦争がはじまります。
両派閥で王座を奪い合いながら3度にわたる大きな戦争をへて、1485年ランカスター派のヘンリー・チューダーがヨーク派の国王リチャード3世を倒し、英国王ヘンリー7世として即位、ヨーク家の王女エリザベス・オブ・ヨーク(リチャード3世の姪)と結婚してチューダー朝を開いたことで終焉を迎えます。
この時、両派閥の統一の象徴としてランカスター家の赤い薔薇とヨーク家の白い薔薇を組み合わせたものを徽章としたのでした。
ヘンリー7世以降、王冠を戴いたチューダーローズのデザインはイングランドの王家の印として様々な所に使われています。
実はこの逸話には今日の歴史研究により創作が含まれているといわれています。最後に戦ったヨーク家出身の国王リチャード3世は確かに白薔薇を徽章としていましたが、ランカスター派のチューダー家出身のヘンリーは赤いドラゴンを徽章としていたようです。これはチューダー家は元々ウェールズの家系だった為でしょう。またランカスター家の中には金の薔薇を自らの紋章としていた人物は何人かいましたが、赤い薔薇を徽章としていた人物はいませんでした。
戦争の後、国王となったヘンリー7世が王家が統一されたことを内外に示すためにドラゴンの赤(もしかしたら金の薔薇)から着想をえて、赤い薔薇をヨーク家の白い薔薇と合わせて徽章としたものだと考えられています。
「ランカスター家の赤い薔薇」と「ヨーク家の白い薔薇」というイメージが強まったのには1592年に初演が行われたシェイクスピアの史劇「ヘンリー六世」で演出として用いられたことも大きいと考えられます。
また、「薔薇戦争」という名前も19世紀の小説家ウィルター・スコットが「ガイアスタンのアン」という小説で使い始めてから広まったものだといわれています。
チャイルド&チャイルド
チャイルド&チャイルド(Child&Child 1880~1916年)
銀食器職人のウォルター・チャイルド(Walter Child)とハロルド・チャイルド(Harold Child)によって設立。1891年に移転したのを切っ掛けにジュエリーメイカーとして活動しはじめ、エナメルの作品を得意とし、数々の名作を残しています。当時、アレクサンドラ女王により王室御用達を授与されています。
今日でもロンドン、サウスケンジントンの駅前にあるThurloe Street 35番地には窓枠の上に当時からのチャイルド&チャイルドのモニュメントを見ることができます。
テーブルカット
テーブルカット(Table cut)
ダイヤモンドの最も古いカット方法で八面体の結晶の先端の一つを真横にカットしその反対側の先端に小さくキューレットを付けただけのカット。このカット方法は既に15世紀にはできており、17世紀にローズカットが導入されるまでは最も一般的だった。
テーブル
テーブル(Table)
研磨されたダイヤモンドの上部中央の水平カット面。アイディアルカットの項を参考にしてください。
トガ
トガ(Toga)
古代ローマの衣服でトゥニカと呼ばれる下着の上に身に付けたローブのようなもので、正装としての役割を持っていた。
古代ローマ歴代の皇帝の彫刻にも見られるヒダの多い服。
トレンブラン
トレンブラン(Tremblant)
「震える、振動する」という意味のフランス語。
小さなバネを仕掛け、身に着けた人が動くにつれて、一部だけが揺れるように作られたジュエリー。代表的なのは花束のジュエリーで、花の部分が揺れるものが多い。
ドッグネックレス
ドッグネックレス(Dog Necklace)
首の部分全体を垂直に立ちあがるように覆う首飾りのこと。一見、犬の首輪のように見えるため、この名がついた。16世紀からあるが、ヴィクトリア朝中期から再度流行した。
ドーヴ
ドーヴ / ダヴ(Dove)
ドーブとは小さく白い鳩のことをさし、平和をもたらす象徴とされている。1840年、ヴィクトリア女王とアルバート公のご婚礼の式の際、花嫁に付き添った“ブライズ メイド”がハートをくわえた鳩のブローチを王室から授かったことから、鳩のブローチが19世紀中期に流行した。
大英博物館には17点の鳩のブローチが展示されている。
ネグリジェ・ネックレス
ネグリジェ・ネックレス(仏:Négligé 英:Negligee)
元々ネグリジェという言葉は「だらしない」などの意味のフランス語で、締め付けのないゆったりした部屋着、普段着のワンピースのこと。
後々、そういったワンピースのドレスに合わせる長めのネックレスをネグリジェ・ネックレスと呼ぶようになりました。また、その形が特徴的で左右に2つのモチーフが下がるものをネグリジェ・ネックレスといいます。
ノックス
アーチボルト ノックス(Archibald Knox 1864~1933年)
アーツ・アンド・クラフツ運動の中心的デザイナーの一人。ケルト民族の伝統的デザインを復活させ、現代に生かすことに専心した。
ハーフパール
ハーフパール(Half Perl)
半分にカットした真珠で、19世紀後半に英国でジュエリーの主たる素材として多用されました。丸い真珠をカットしたのには、養殖真珠がまだ発明されておらず天然の真珠は大変希少であった為、半分にすれば倍にして使えるとの考え方と、真珠が台座から飛び出すのを嫌がったためと推定されます。現在、2mm以下の小さい真珠を半分にカットするこの技術は伝承されていません。
パリュール
パリュール(Parure)
同一のデザインあるいは同一の素材を用いて作られる、3個以上のセットになったジュエリーのことで18世紀頃から作られていました。ティアラ、首飾り、イヤリング、ブレスレット、ブローチの組み合わせが多く見られます。小型の2個のものはドゥミ・パリュールと呼ばれています。英語でセットを意味するスイート(suite)と言われることもあります。
パビリオン
パビリオン(Pavilion)
研磨したダイヤモンドなどの石のガードルから下の部分。真裏から見たときに見えるところです。アイディアルカットの項を参考にしてください。
バスタイユ
バスタイユ(Basse Taille)
エナメルを透して母材の彫刻を見せる技法をバスタイユと呼ぶ。金属面にあらかじめ連続模様、幾何学模様を彫りつけ、透明または半透明のエナメルで覆う。ギロッシェエナメルもこの技法の一部。
ピクエ
ピクエ(Pique)
べっ甲の表面に金銀の様々な形の小片を並べて象嵌し、連続模様を描いたものをいう。金属片を打ち込むためにべっ甲を温めたといわれているが、実際の技術は伝承されていない。ヴィクトリア朝中期に流行した。
一説によると、熱を加えると柔らかくなるべっ甲の性質を利用して、べっ甲の上に象嵌する金属を並べ、熱いお湯の助けを借りながら押し込んだのではないかとされる。当時の技法は正確にはわかっていません。
ピンチベック
ピンチベック(Pinchbeck)
1720年頃にロンドンの職人クリストファー・ピンチベック(Cristopher Pinchbeck 1672年~1732年)が創案したといわれる、金に色が極めて似た合金で作り方はピンチベック家の秘伝とされていたらしく、伝承されていません。金が極めて稀少であった1840年頃までに金属細工としても実に手の込んだ作品が多く作られました。金よりも比重が1/2ほどで軽いのが特徴。主に銅と亜鉛の合金でおよそ銅が90%亜鉛が10%程の割合で作られたとされています。
ブシュロン
ブシュロン(Boucheron)
フレデリック・ブシュロン(Frederic Boucheron 1830年~1903年)により1858年に創立しました。フレデリック・ブシュロンがパレ・ロワイヤルに宝石店をオープンさせ2013年で創業155周年。ブシュロンは1893年にパリのヴァンドーム広場にブティックを構えた最初の高級宝飾店。
もともとブシュロン家は、ドレスなどを仕立てていたオートクチュールでした。パリ本店のヴァンドーム26番地というのは、広場の中でも一番良い場所でこれはフレデリックの「ダイヤモンドは採光によってより輝く」という信念のもと日照時間が一番長い場所が選ばれてのでした。イラン国王との関係は深く、納められたジュエリーの数々は現在は国宝として保管されています。
フーケ
フーケ(Fouquet)
3代にわたりパリで活躍した宝石商。2代目のジョルジュ・フーケ(Georges Fouquet 1862年~1957年)が有名。作品の多くはアール・ヌーボー様式のもので、自分で作るというよりは才能あるデザイナーや職人を店に集めて、名作を作りつづけていました。ミュシャのデザインで19世紀の大女優サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)の為のブレスレットを作っています。
ファベルジェ
ファベルジェ(Fabergé)
ペーター・カール・ファベルジェ(Peter Carl Fabergé 1846年~1920年)は、ロシア、ロマノフ王朝最後の二人の皇帝、アレクサンドル3世とニコライ2世に仕えた宝石商。優れたデザイナーと職人を集め、王室のためのジュエリーやオブジェ・ダ・アートと呼ばれた宝石類で装飾された身の回りの小物などを作りだしていました。毎年、イースターの時に王室に納めていた貴金属と宝石を用いたインペリアル・イースター・エッグが有名です。
フローレンスモザイク
フローレンスモザイク(Florence Mosaic)
イタリアのフィレンツェで生まれたモザイク技術で、さまざまな色の半貴石、貴石、貝殻などを板状にカットし、大理石の板に精密にはめ込んでデザインを描く。小さな花あるいは風景画のモチーフが多い。貴石画とも呼ばれる。
ブラジリアンチェーン
ブラジリアンチェーン(Brazillian Chain)
スネイクチェーン(snake chain)ともいわれる。ヴィクトリア朝中期以降に見られるやや太めのチェーン。
ブラッカムーア
ブラッカムーア(Blackamoor)
アフリカ大陸の北西、地中海沿岸に住むムーア人の男女像をオニックスなどに立体、あるいはカメオに彫り上げた作品のこと。元来イタリアのヴェニスの特産品だったものが、16世紀から18世紀にかけて各地で作られるようになりました。数が非常に少ない為、高価なものが多くなっています。
ブリリアンス
ブリリアンス(Brilliance)
ダイヤモンドなどの宝石の中に入った光や表面で反射した光によって発する輝きのことをいいます。
ファセット
ファセット(Facet)
ダイヤモンドなどの宝石の表面につけられた平面のカットの総称。カットされた面のこと。
ブリオレットカット
ブリオレットカット(Briolette)
外形が丸みを帯びた形で、その表面全体に三角や菱形のファセットがつけられたカット。ミラーボールを連想させるカット。上部に穴が開けられ、その穴に金属線を通して揺れ動くようにぶら下げるようにセットされることが多い。
ファイア
ファイア(Fire)
白色光がダイヤモンドを通過する際に、虹状になった光を発することをいいます。
ヘア ジュエリー
ヘア ジュエリー(Hair Jewelry)
人間の髪の毛を一部に利用したジュエリー。死者を悼むこの風習は17世紀頃から存在したが、19世紀にはいると死者を悼むと同時に生きている人への愛情表現としても使われた。髪は梳いて羽状に並べたり、ひも状に編んで使われた。
ベゼル
ベゼル(Bezel)
ブリリアントカットのテーブル面とガードル面の間の菱形のカット面のこと。アイディアルカットの項を参考のこと。この面が大きいと重さの割に小さく見えてしまうが、全くないと端が欠ける原因となりうる。
ペアシェイプ
ペアシェイプ(Pear Shape)
洋梨の形をしたカットで、一方が丸で反対側が先端のある尖った形のカットをいいます。涙型のカットでティア ドロップとも呼ばれます。
ペインテッドエナメル
ペインテッドエナメル (Painted Enamel)
仕切りのない平らな面に各種のエナメルをのせて絵を描く方法。無線七宝のこと。下地に単色のエナメルをあらかじめ焼き付けてその上に筆を使ってエナメル画を描いていきます。
ボール・チェーン
ボール・チェーン(Ball Chain)
中空の小さい玉を棒で連結させたチェーンのこと。強く引っ張ると玉から棒が抜けてしまうことがあります。各ボールが独立しているのでチェーンにねじれが発生しにくいので小振りのチャームを付けた時に回転しにくい特長があります。連結されるボールにカットが入り、キラキラ光るものもあります。
ホワイトゴールド
ホワイトゴールド(White Gold)
ゴールドの割り金をパラジウムや銀、ニッケル等にすることで色味を白色にしたゴールドのこと。完全には白色にならず、灰色または黄味がかることが多いのでその上からロジウムめっきをかけることが一般的である。
K18ゴールドの割り金を変えることにより、色あいに変化を出す方法は19世紀初頭、ジョージアンの頃から登場し、知られていましたがホワイトゴールドが決定的に流行することはありませんでした。
しかし19世紀後半に入って、プラチナという新しい金属はK18ゴールドと同程度の強度をもち全体的に繊細なジュエリーを作ることができたことにより1900年頃から流行します。しかし、1917年にロシア革命が起こり、ほぼ唯一のプラチナ産出国であったロシアからのコンスタントな供給が断たれ、プラチナの代用品として宝飾品に登場したのがホワイトゴールドでした。
その後、プラチナが第二次大戦中には「戦略物質」として軍事産業以外の使用が禁止されたこと、工業用触媒としての利用価値の高さもあり欧米ではホワイト色のジュエリーにはホワイトゴールドを使うことが定着します。最近では日本でもプラチナよりもコストが抑えられるなどの有利な点からもホワイトゴールドの宝飾品が多く作られ流通しています。
ポイントカット
ポイントカット(Point Cut)
14世紀頃から登場する最も初期のダイヤモンドのカットで、正八面対のうちの上の4つの三角面だけをすべて平面状に磨ったカット。
マーキスカット
マーキスカット(Marquis Cut)
舟のように上下の先端が尖った細長い形状のカット。端の尖った楕円形。
マットエナメル
マットエナメル(Mat Enamel)
アール・ヌーボー調のジュエリーによくみられる技法で、焼き付けたエナメルにサンドブラストをあてる、または薬品によって表面を融かし艶消しに仕上げたもの。淡い半透明のパステルカラーのものや写実的な草花のモチーフなどのものがみられます。
ミュージアムピース
ミュージアムピース(Museume Peace)
歴史的な価値、クオリティ、状態などが良く、博物館に収蔵されていてもおかしくない作品。
メレリオ・ディ・メレー
メレリオ・ディ・メレー(Mellerio Dits Meller 1613年~)
おそらく現存する世界最古の宝石商。ルイ13世の頃の1613年には宝石商として登録され、1796年にジャン・バティスト・メレリオがこれを店舗として創業しました。ナポレオン1世の妃ジョセフィーヌやその一族を顧客にしています。またファリーズ、フォントネイ、ラリックなどの後々著名になるジュエラーが修業をしていたことでも有名です。現在もメレリオ家一族の15代当主フランソワとオリビエ・メレリオによってパリのヴァンドーム広場へと続く、ラペ―通り9番地で盛業を続けています。
モーブッサン
モーブッサン(Mauboussin 1827年~)
1827年にロシェ(Rocher)と共同経営者のジャン・バティスト・ヌーリー(Jean Baptiste Noury)によって創業し、ジャンの甥でジョルジュ・モーブッサン(Georges Mauboussin)へ引き継がれ現在の名前になった。ジョルジュ・モーブッサンは光の入る大きな店舗をアトリエの1階に作り、プレスを呼んで3年連続で展覧会を開くなど、広報の力を良く知っていた実業家だったようです。1965年には色とりどりのプリカジュールエナメルを使用したとても美しい”Papillon”と呼ばれるシリーズを作り出し話題となり、そのシリーズは後に自社の歴史本の表紙を飾る名品となっています。
より線
より線(Twisted Line)
複数の線をより合わせて1本にした線のこと。ヒストリズムのジュエリーによく見られます。細く長い金線を一定の間隔になるようにねじるのは見ためよりも難しく、また、より線にろうが流れないようにろう付けするのにも経験と技術を必要とします。
ラヴァ・カメオ
ラヴァ・カメオ(lava cameo)
溶岩をカメオ(浮き彫り)にしたもの。色は白、薄い灰色、褐色、茶色、黒など様々な色があります。19世紀にイタリア土産として流行しました。現在世界遺産になっている都市ポンペイを1世紀に火砕流で壊滅させたヴェスヴィオ火山の溶岩などが使われていました。
リバティ百貨店
リバティ商会(百貨店)(Libaty 1875年~)
アーサー・ラセンビィ・リバティ によって開業。リバティ社はリバティ・プリントと呼ばれる極小の花柄の織物で有名です。創業時に雇った店員が日本人の少年と16歳の少女の二人であったり、日本と不思議な縁があります。現在はロンドンの中心部にあるリージェントストリートにリバティ百貨店としてお洒落な品々を取り扱っています。
リモージュ・エナメル
リモージュ・エナメル(Limoges Enamel)
フランス中部のリモージュ地方で焼かれるエナメルのこと。黒または灰色地のバックに白を主体としたさまざまな色のエナメルで人物像などを描いた七宝細工のこと。起源は古く、12世紀から13世紀の作品を見ることができます。現在もリモージュでは良質な磁器用粘土が多く採掘される為、磁器が有名です。
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック(Rene Lalique 1860~1945年)
アール・ヌーボーからアール・デコの時代を代表するジュエリーとガラスの作家です。東洋の影響を感じさせる奇抜なデザインを多用して、さまざまなエナメル技術を駆使した名作を数多く残しています。ガラス工芸でも有名ですが初期にはジュエリー作家として大成功を収めています。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響が大きいのか高価な宝石を多用しないのも特徴のひとつといえます。ポルトガルのリスボンにあるグルベンキアン美術館には何十点もの名作が収蔵されていることで有名です。
ろう付け
ろう付け(Brazing)
大きくは溶接のことで、母材よりも融点の低い金属「鑞(ろう)」を用いて部品をくっつけることをいいます。
ローズカット
ローズカット(Rose Cut)
半円状のダイヤモンドの上部の表面に三角形のファセット面を6~24個つけたカット。パビリオンはなく、平面なのが一般的。
ローマン・モザイク
ローマン・モザイク ( Roman mosaic )
ローマン・モザイク(ミクロ・モザイク)は″テッセラ(tessera)″と呼ばれる様々な色の小さなガラス片をはめ込むことで絵柄を表現する技法です。元々は神殿や教会のような大規模な建築を装飾していましたが、今から約200年前にミクロ・モザイクの技術が発明されると、ジュエリーや小物入れ用のモザイクが作られ始めました。
小さいものになると1インチ(2.5cm)四方に1,400ピースのガラス片が使われ、職人達は20,000色程のガラス片から色を選んだと言われています。
これらのクオリティの高いモザイクのジュエリーは18世紀から19世紀にかけて、グランド・ツアーと呼ばれる欧州旅行でローマを訪れたイギリス貴族たちのお土産として製作されていたようです。
ロンドボス
ロンドボス(Ronde Bosse)
立体物の面全体にエナメルを施したもの。主にルネッサンス期の作品によく見られる。人物や天使の肌を白いエナメルで覆ったものや、透明感のあるエナメルで水面を表現したものなどがある。大英博物館に収蔵されているThe Dunstable Swan Jewel と呼ばれる作品などが有名。